2月5,6,9の下げを振り返って (魔術師 奥村)

今回は、2月第二週の下落のデータから過去との類似性をみてみます。

2月5日(月)、6日(火)の2日で、7.27%相場が下がりました。2月9日も2.3%下げたので、この3日で9.6%相場が下がったことになります。

3日下げて、それで終わりになったのでしょうか。

「上げ100日、下げ3日」という相場の格言があります。

上げ相場に比べて下げは一気に来るという意味です。3日の3という数字は、100に対する小さい数字であって、それほどこの格言では意味ないなずなのですが、3回で一気に下げたので、4回はない、という希望的観測は起こるでしょう。

3といえば、トリプルボトム(三番底)という格言もあります。

底は2回が多いのですが、3回つけることも多く、3回下げると落ち着くという意味をもちます。こうした格言は、先人の歴史的な根拠もあるようです。

しかし、4回も5回も底をつけることもありますし、兜町では古くから「相場は最後が大きい」という格言もあります。

結局、それぞれ異なる見方になるのであまり参考にはなりません。

まぁしかし、格言だけで投資判断をするのは危険ですが、基本的格言なので一応知っておいてよいでしょう。

さて、今回の下げに似た過去の事例を調べてみました。

2008年10月のリーマンショックは、今回なんぞ比較にならないくらい強力な下落でしたので、類似性はありません。

1953年の3月、そして、1987年の10月あたりが、下げ方の類似性があるように見えます。

ただし、1953年は今回の1.5倍、87年は今回の倍以上の下落率でしたので、ショックは今回が最もやわらかいものでした。

1953年は、当時ソ連の指導者であったスターリンが重体というニュースが伝わり暴落したものです。ニュースは本当で、スターリンは脳内出血で死亡したわけですが、戦後はじめて日本が経験した大暴落でもありました。

共産主義国の指導者の死亡ということで、株式暴落とは関係なさそうな理由で下げたわけですが、当時は朝鮮戦争の最中で、その特需があって日本は景気が良かったのです。スターリンが死ぬことで戦争が短期で終結してしまうのではないか、という懸念で下げたわけですね。

この時は、戻すのに1か月半かかりました。戦争自体は1953年7月に終わりましたので、相場の方が先に戻したことになります。

今、「終わりました」と書きましたが、実際には、休戦協定が結ばれただけですので、正確には終結していません。休戦状態が長いだけなのです。国と国との契約関係上は現在も戦時中であることは、覚えておいてよいでしょう。

1987年はブラックマンデーです。


米国の貿易赤字が大きくなっていて米経済が懸念される中、プラザ合意後のドル安対策として金利が引き上げ観測が高まった事が原因でした。

暴落直前に、FRB議長がボルカ―からグリーンスパンに引き継がれていた事も要因として挙げられます。

米金利上昇やFRB議長の交代時期など、スターリンの時よりも今回と類似性が高いようです。

この暴落で大きく利益を上げた大物投資家がいるのですが、映画「ウォール街」のモデルにもなりました。

 

この時は、戻すのに半年かかりました。

例に挙げた2つのケーススタディでは、銀行が連鎖倒産するような深刻な事態になっていません。

しばしば、金融経済が先走り、実体経済とかい離する事があります。

その場合、相場は自動的に調整されるのですが、大局的にはそれが理由でしょう。

極端に上がって割高な相場になったり、その逆であったりした場合、実体経済に合った水準まで、相場が動くわけですね。

それがいつ起こるかは誰にもわかりませんが、どのくらいが適正水準であるかは概ね計算できるものです。

このあたりの話は、また別の機会に展開してみたいと思います。

また次回お楽しみに。