ノーベル賞の季節が終わり,憂うこと (魔術師 奥村)

毎年、10月になるとノーベル賞の話題が出ますね。

圧倒的に権威のある世界最高の賞と言ってよいと思います。

ノーベル賞は、ノーベルの遺産に表明された分野で傑出した研究や人物を対象に毎年表彰されています。その分野とは、(当初)物理、化学、医学、文学、平和の5分野でした。

あれ、数学と経済がないですね。そうなんです。数学も経済学も、ノーベルの遺言には存在しなかった分野です。

ノーベル経済学賞は、世界でもっとも歴史のあるスウェーデンの中央銀行(日本の日銀、米国のFRBに相当)が、1968年に創立300周年(ノーベルの死後70年後にもあたる年)を記念して、ノーベル財団に働きかけ、その翌年から新設されました。

数学賞は、今でも存在しません。

そのかわり、フィールズ賞という数学の分野の実績を称える賞はありますが、賞金が200万円とインパクトがないものでした。

( 2001年から、賞金が大きなアーベル賞ができました。アーベル賞は、数学に特化した賞であり、スェーデンに対抗してノルウェー政府が同国最高数学者のアーベルの生誕200を記念して2001年に新設した賞です。賞金もノーベル賞に匹敵します )

さて、ノーベル賞の選考は、決まった機関が、担当しています。

決まった機関とは、
スウェーデン王立科学アカデミー(物理、化学、経済)
ケロリンスカ研究所(医学賞)
ノルウェー国会(平和賞)
スウェーデンアカデミー(平和賞)

です。

それぞれの選考過程や、それに関与する人名は表に出る事はありません。

日本人で受賞していないのは、ノーベル経済学賞、およびアーベル賞です。

アーベル賞は2003年から年に一回表彰を始めたばかりなので、世界的に素晴らしい数学者がたくさんいる日本人が受賞していないのは仕方ないとは思います。

しかし、ノーベル経済学賞は違います。日本が圧倒的に遅れている分野なので、受賞は難しいのです。

世界的に実績を上げた経済学者は日本人にはいません。

その大きな理由は、文科系に属しているせいだと私は思います。

今日、文学ですら、コンピュータ解析が必須であり、フレーズ単位、単語単位に落とした細かな解析をして意図解釈をしている時代です。

数字が決定的に重要な経済学、特に金融は本質的には理科系の学問です。

とりわけフィンテックは、将来予測、新商品開発、機械売買など金融セクター各社のリソース集中分野です。

技術的にも、分散データベース、多要素分析、マトリクス解析、最適化アルゴリズム、ビッグデータ解析、人工知能など、難解で複雑な数式をコンピュータ解析する分野であり、明らかに理科系で、特に物理学と近いものがあります。

数字を使う経済学が文科系に属している限り、日本の経済学の進歩はないといってよいでしょう。

日本としては、先進世界の中で取り残されている分野ですが、お金のリテラシーが先進国の中で遅れている歴史的背景もあるので、簡単には修正できないだろうと考えています。

政府はカードの利用を即するだけではなく、同時に金融リテラシーを上げる教育改革にも取り組まないと、戦略ない戦術、になってしまうと危惧しています。