平成最後の来年に向けることば (魔術師 奥村)

平成の相場を振り返る
~The night is long that never finds the day~

本日は2018年の大納会でした。来年2019年は平成最後の年になります。

 

平成は1989年でスタートしました。

まだ平成は終わっていませんが、この機会にこの1年間を含め、平成全体を振り返ってみたいと思います。

 

日経平均チャートをご覧ください。

各種資料よりTrioAM作成

平成元年,1989年の12月29日、戦後の株価はピークをつけました。
元祖バブル経済でした。この時のドル円レート143円。元年年初に123円であったレートは年末に向け圧倒的な円安に進み、1年間で20円も円安に振れたのです。

この当時、PERは60倍程度ありました。

(2018年末のPERは11.3倍。適正値を14倍とすると24500円です。
仮に60倍のPERのバリエーションだとすると、日経平均はなんと!
10万6900円です・・・)

企業会計は1982年に大きな改正があり、その後平成に入って会計基準は少しづつ変容してきているので、当時と今の企業利益は厳密な比較ができないのですが、
それを割り引いても、今と比べて割高すぎます。

そのバブルがはじけ、経済状況

 

は悪化の一途をたどります。財政政策も、金融政策も、悪化をできるだけしないよう、あれこれ対策が行われました。

ゼロ金利という中央銀行としては世界初の試みをしたのもその時、1999年でした。

この1999年というのは、インターネット時代の幕開けでもありました。

当時は、モデムと呼ばれる機器を使って電話回線をつかって音声(ピーヒョロロ、、というFAX通信と同じ技術)でやりとりしていましたが、デジタル信号を電話回線を使って直接送るADSLというサービスが出たのも1999年です。

経済的にも、1999年頃からITバブルがやってきます。東証にマザーズという市場ができたのも1999年です。

既存経済は、インターネットを使ったサービスに置き換えられ、圧倒的な速度であらゆることが起こる。ニューエコノミーなどともてはやされました。インフレなしで、経済成長がスピードアップされる、と。

今にして思えばあるい程度はその通りになったのですが、ITバブルは短命で終わりました。

当時の技術は、まだまだ未熟で、ネットワーク速度もいまの100分の1程度だったのです。

もちろん、IT産業そのものは圧倒的な発展を遂げ、米国を、世界を引っ張る大産業になったのは言うまでもありません。

その後のビッグイベントとしては、なんといっても2008年のリーマンショックでしょう。2008年の株式市場は、年初より40%も値を崩したのです。

そのショックから立ち直り切らないうちに、2011年、東日本大震災がやってきます。さらに悪いことに、原発事故を伴った被害となったため、この問題は長期化して将来に重くのしかかってきています。

 

その後、政権が変わり、アベノミクスが始まり、いまに至っています。

そうして、昨年は、トランプにはじまりトランプに終わった1年だったと言っても良いでしょう。

2017年1月の就任時には2万ドルであったNYダウは順調に上がり続けたのですが、2018年になって失速、年末の大暴落をもたらしたしました。

この暴落は、世界共通.日本も、欧州も、影響を受け、同じように暴落しました。

なんとか、本年昨年引け値で二万円を維持できたのは、目安としてのシンボルを守ったという点でまずは最低限の安心は確保できたかな、ということになりましょう。

平成という期間では陰線になることは決定的です。

しかし、新しい年を迎えて、次の年代に向けて、特に今年、晴れやかにすすむのか、昨年暮れのように続く暗闇を苦しむのか、それは迎えてみなくてはわかりません。

私は、夜のピークは抜けつつある、とみています。

少なくとも、夜は(続くとしてもその後には)必ず明ける、~The night is long that never finds the day byシェイクスピア 「マクベス」~

ということだけは言えるでしょう。

来年もよろしくお願い申し上げます.

魔術師